権現山を最標高地とした里の裏山

里区と裏山

里区は今でも山の占有率が高いのが特徴です。しかし、今は緑が丘や桔梗西など住宅団地、あるいは工業団地となっているところに、昔は広大な里山が広がっていました。
水田や植林など、里山は住民にとって切っても切れない関係だったといえます。
里山の風景
昔の里山の写真は残念ながら見つけることはできません。そこで、永年この地で暮らしてきた住民の脳裏に残っているイメージを手掛かりに、いくつか画像を探してみました。少しでも往時の風景が彷彿とできればと思います。















竹害との闘い
里山の消滅も寂しい話ですが、近年それ以上に深刻なのは竹害の広がりです。
数年前まで里見権現山の中腹に広大な竹林が広がっていました。四方を里道に囲まれた該竹林全域の地権者は遠方の居住者で、50年近く管理不全となっていました。地域住民に多大な被害を及ぼしていましたが、市に対策を訴えても私有地ということで手を出さないようにという助言しかありませんでした。









R元年末、該地の東のはずれで人の背丈ほどの深さに達する陥没が起こりました。同時にその周辺が数年で大きく地盤沈下していたのを見て付近の住民はびっくりしました。
竹の吸水作用で、地下に広がっていたと思われる空隙に崩落が起こったようです。
そういうこともあり、H30年に自治会長名で地権者宛てに対策を要請する手紙を出しました。それをきっかけに、それ以後数年にわたり大阪、京都などに住む地権者と交渉を重ねてきました。その過程で、土地の整備や管理を遠方の地権者に委ねるのは全く非現実的だとの認識に至りました。そして、当該土地を里自治会に無償譲渡するよう求め、R5年にそれが認められました。
竹林の伐採については、それより1年ほど前、部分譲渡された時点から取り掛かりました。竹を切り倒していくうちに竹藪に隠れていた巨木が何本も現れました。1年ほどかかって一通り倒しましたが、倒す以上に大変なのは伐採した竹や除去した笹の処理です。これには、広大な土地の真ん中に周囲を石や瓦で囲んだ焼却場をつくり、少しづつ焼却したりしました。








負の遺産にしかならないような土地を譲り受けることには異議があるとの声もありました。しかしそれをしないと著しく劣化した環境を整備する方法は他にありません。当区が該地を所有することで、少なくとも地元でそれが可能な条件は生まれました。
遠方の地権者が管理を怠っても、道義的にはともかく、法的には責任を問う道はほとんどありません。実際、不在地主の管理放棄による土地の荒廃は、全国各地で深刻化しています。そして一番大事なのは、その周辺に実際に人が住んでいて過去にも様々な負担を強いられてきたということです。
この土地を負の遺産のままにしておくのか、有効な活用方法を見出すかは、我々次第です。竹林を退治するまでには最低7年はかかると言われています。元の木阿弥にならないよう頑張り、並行して、新たな活用方法を見つけていければと思います。



地域環境の整備・改善は、個々の利害・損得を乗り越えたボランティアでないとなかなか前には進みません。その意味で、環境整備を主目的として掲げる自治会の存在意義が高まっています。